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工藤さん

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道草のすすめ 

2007年7月号

 路線を外れる…あってはならない不幸事だった。人生には、まるで電車の線路みたいに用意された道筋があると、誰もがそう思っていた。

 今、先人の人生を紐解き、自分の人生を振り返ると、人生?そんなもんじゃないよ。一期一会、ひとつひとつの偶然が必然となり、人生を振り返るとジグザグ路線がよく透けて見えるけど、人生の前方に路線などない。

 それなのに、私たち凡人は、どうして路線があると思い込んで、そこから外れることを恐れたのだろう。立派な学校に入り、大きな会社に勤めて出世して、ほどほどの結婚をしてお金を貯めてマイホーム…。途中のどこかでこのシナリオから外れる人ははぐれ者。

 こんなシナリオを登り詰めたところで、幸せの何が保証されるわけでもない。外れたところで、不幸の何かを背負うわけでもない。今の私にはそれが断言でき る。「人生塞翁が馬」…何がどうなるかわかったものではない。第一、どんなに偉い顔したって、いつ死ぬかさえわかってないのだから。

 しかしどうして。簡単なことだからみんなわかっていたはずなのに、路線の蜃気楼にとらわれて、それから外れることを恐れて生きてきた。路線をなぞる心に自由闊達はない。次の駅に早く着くために、切磋琢磨し競争し、必要事以外は正視せずに切り捨てて、やりたいことにも封印する。いつもいつもが「プロセス」だ から、心の余裕などありゃーしないし、だいたい心の振動の巾がちっちゃ過ぎる。強がる一方で、時々自分の弱さに戻れる正直者だから、「百姓になりて~ な~」「自然に還りて~な~」とつぶやく。そう、最大の不幸は「道草」「寄り道」の心を忘れたことだった。

 さてそれで、もう取り返しはつかないだろうか。いえいえそうではありませぬ。リタイアー組は、路線から外れたはぐれ者。強制的に外されることで、「路線」という呪縛から誰もが簡単に逃れられた幸せな人種なのだ。

 今からが自由人、長い間の封印を今だから解いて…。そして、もう決められた路線などないから、「道草」や「寄り道」得意の悪戯に戻りましょう。幼い頃の道 草は本当に楽しかった。寄り道には、予定したちっちゃい世界なんかにはない発見と出会いと驚きがたくさんあるから、ワクワクに限りはない。感動にも限りは ない。まるで探検隊の隊長になったみたいな世界が待っている。

 探しものをしよう…ゼロからでもいいから…という気持ちさえもてれば、探検の旅に限りはないから、長生きしても退屈する暇がない。過去の延長線で何かを考えたり、今さらゼロからなんてと思ったりすると、死ぬまでの人生が長くてかなわんということになるのだろう。

 年寄りは年寄りらしく、おとなしく小さくまとまって、次第に風化してお陀仏だというのは昔のことだ。冗談じゃない、年寄りは凡人向けの羅針盤を越えた存在 だ。羅針盤がなければ心躍る探検だ。「解くゾ封印」丸、「思いっきり寄り道」丸の船長になったら、お迎えが来るまで、アットいう間のワクワク人生を満喫で きる。みなさん、これで行きましょう!あ~、時間がない。

【工藤】


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