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コラム

工藤さん

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私のモード・チェンジ 

2007年8月号

「自分は生かされている」…これまで何度ありがたく思ってきたことか。今度は名医から命を救っていただきました。  

65歳になった7月15日。その誕生日の翌日に入院して、18日に大腸ガンの手術を受けました。30日にはもう早々と退院できました。

 声帯を痛めたのが気になり、NMNのホームドクターの阿部先生に相談に行ったついでに、大腸も検査してもらいました。5、6年も健康診断していないこと もあって、先生とお話ししているうちに、何となくその気になったのです。声帯は単なる炎症でしたが、大腸から早期ガンが発見されました。早速阿部先生に、 大腸ガンの手術では日本でも1、2位といわれる名医を紹介していただき、完璧な施術を受けることができました。NMNにホームドクター制をつくって10年 経った今、その制度に私自身も助けられた次第で、ありがたい限りです。

 入院以来20日経った今、体重は入院前の10キロ減の60キロ。何十年も鍛えてきた身体は見るも無残にやせ細り、妻は「かわいそうに、あなたも見事に年寄りの体になったわね。」と含み笑いをします。そう、これまでのマッチョ人生とはもうきっぱりと別れを告げよう。

 術後4日目に口にした一滴の水の何とやわらかく甘かったことか!この水を口にした時から、私の細胞に「いのち」が蘇った気がしました。そうだ、身体中に染み渡る、この感動をこそ原点に、生きていこう。

 これまで私の中には、敗戦とともに33歳の若さで日本に絶望し、青春をなくしてしまった職業軍人だった父から受け継いだDNAがありました。「潔さへの 思い」と「日本への思い」でした。ハラハラと散る桜に涙する、あの潔さです。散り際の美学です。どれだけ高度な教育を受けても、この感覚だけは理屈を超えて心の奥底にワイルドに生き続けてきました。

 だけどこれからはもう、そんな美学などはマッチョ人生と一緒に捨て去って、もっと「いのち」を大切にして生きていきたい。足元に咲く一輪の花のはかない いのち…私を取り巻いてくれるたくさんのいのち、そしていま壊れかかっている大きな地球の繊細な息づかいをこそいつくしんで生きていきたいと思います。

 国に奉じる職を選び、国が勝手に壊れたせいで、生きる目標を失って、青春の真っ只中で絶望した不幸な父。私の中には、この父が自己を燃焼しようとして果たせなかった「よい日本づくり」への思いが、もうひとつのDNAとして引き継がれています。

 早々と挫折して、日本づくりも人生も諦めて、虚しい10年間を経た後に寂しく逝ってしまった父。父44歳、私が14歳の時でした。その父に代わって、非 力でもいい、「よい日本」づくりへの貢献が少しでもできてはじめて、私は父を超えられる。父がもっていた国家の目線ではなく、生活者の目線を大切に、私な りに納得できる日本づくりに向かえてこそ、父から「いのち」を受け継いだ私の存在の意味があると思うのです。

 検査結果が告知される6月27日。もしガンであるならば、自分が撒き散らしたpoisonを整理するのに、せめてあと3年、いや5年の余命はほしいと願っていました。しかしその日の告知も、術後の詳細検査でも「早期ガンで転移なしで、よかったネ」というものでした。

 …という次第で、期限の定めのないいのちに戻ることとなりました。皆さん、あらためて「よいお付き合い」のほど、どうぞよろしくお願いいたします。  

 【工藤】


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