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工藤さん

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この10年は幸せに向かったか? 

2008年1月号

 サロンに集って10年が経ちました。設立前夜のあの時は20世紀の終わりで、21世紀論がかまびすしい頃でありました。

  近代文明が背負ってしまった問題は、20世紀とか21世紀という百年単位の視点では解決できないほど根深い。だから、もっと長い時間軸で問題に向かう必要があるという思いで、千年単位の時間軸「ミレニアム」をサロンの名前にしました。

  命名は1995年のことでした。当時その言葉はほとんど世に出ておらず、命名の1年後に、今テレビでお馴染みの読売新聞の岸井成格さんが、「おもしろ政治学」でその言葉を紹介しました(懐かしいので、記事を同封しておきました)。さてそれで、新しい千年はともかくとして、現実の21世紀はどんなスタートを切ったのか垣間見てみましょう。

●地球・いのち: 私たちは自分のいのち、まわりのいのちを大切にしなくなったし、大きな地球のいのちさえをもないがしろにしている。20世紀のいつからだったか、「成長の限界」が指摘され始めた。資源の有限性がその根拠だった。うしろを振り返らない「行け行けドンドン」の時代だったから、この指摘は当時としては衝撃的だったが、今直面している問題に比べれば、まだまだ甘い認識だったといえる。 あの指摘以降も、人間は地球を壊し続けてきた。そして、このままでは人間圏はあと100年しか続かないという、当時は想像もできなかったような状態にまで なってしまった。100年といえば、子どもや孫の「一生時間」だ。数十億年という長い時間軸で呼吸している地球のいのちを、子や孫の「一生時間」で身近に測れるほど、私たちは地球を急速に破壊している。そしてまだ、いのちをおろそかにするやり方を改めようとしない。

●こころ: 20世紀はモノの時代。21世紀はココロの時代と期待されていた。しかし現実はどうだ!原子力発電事故データや防衛データの改ざん、正味期限の改ざん、まがい物混入に損保・銀行の偽りの体質などから、社会保険庁の嘘八百に総サボタージュ、最後は防衛省の不祥事にいたるまで、政・財・官・文のすべてにおいて、リーダー層の心が偽りだらけで腐りきっていることが露呈した。「モノの時代からココロの時代」への移行とは、豊かで気高い精神で社会づくりを目指すはずだった。しかし気高いココロなどどこへやら、ひたすらモノに執着するばかりのこれまでだった。心がここまで壊れてしまって、一体何を頼りに社会づくり、 国づくりをやればよいのか。    

●仲間・共生 : 今、大切な仲間が割れている。

●世代間に亀裂:若い世代は団塊・熟成世代に訴える。日本を問題だらけにして、自分たちだけの「逃げ切りは止めてください!」。だけど団塊・熟成世代の関 心事は、ボケないためにどうするか、どこの温泉の何がうまいか…悪いとはいわないが、心が自分の内に向き過ぎてはいないか。

●格差の拡大・中間層の分解:江戸時代から現代日本まで、元気な普通人が国を支えてきた。中間層ともいう。日本企業の宝は中間層だと世界が注目したことも あった。その中間層が空中分解しつつある。政治の世界では、小泉、竹中、木村ラインが始めた「骨太改革」は、掛け声だけで混乱あって実行なしの感あり。日本に馴染まないアメリカ流の猿真似で、人心と社会を荒廃させた。かつてニューヨークの摩天楼をジャップが買い漁ると騒がれたことがあった。主客変わって、 貴重な財産を二束三文でハゲタカファンドに売り渡すより他に、日本再生のメスは入れられなかったのか。 企業のリストラは、大切な中間層の忠誠心を喪失させてしまった。友人の首切りをさせられた、リストラ推進担当の課長さんは、「明日はわが身」で白けてし まった。終身雇用で社員を大切にするはずの「会社」というものの実態が透けて見え、社員の忠誠心は急速に萎えた。そして今、世情を垣間見ると、金持ちと貧 乏人の格差は急速に拡大し、中間層から貧乏層への脱落が目立つ。無気力付きだ。

◆共生は疎遠に:「袖振り合うも他生の縁」「向う三軒両隣り」「隣りは何をする人ぞ」…懐かしくもほのぼのとするこの言葉さえも、今はもう全くの死語となってしまった。

●ふるさと: 「ふるさとは遠きにありて思うもの」…日本の発展は貧乏な地方から華やか大都会への出稼ぎが支えてきた。しかしこの出稼ぎは、人びとをふるさとの心地よいリズムから隔離して、心の潤いと実感を取り上げてしまった。
 そして残された村々…。20世紀では過疎村が問題だった。しかし今は過疎村とはいわない。もうこれ以上はもたない、限界だ!と、崩壊が決定的な状態を「限界村」というそうだ。何とその限界村が700以上もあるという。日本人のココロのふるさと、伝統文化の源が壊滅する。

●いけない、いけない。こんなことでは…。 最近はテレビに向って怒ることが多くなった。電車の中でも路上でも気になることが多すぎる。あー、年寄りになってしまったかと気になっている。その日常 を、とうとう今度は紙面にまで持ち込んでしまった。困ったものだ。みなさん、お許しくだされ。だけど年寄りのこの怒りを、社会を開くエネルギーに何とか転 化できないものか。 

 【工藤】


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