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コラム

工藤さん

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この国の形を捉え直す…いくつかの視点

2010年6月号

   ユニクロの柳井さんが頑張っている。日本で一番元気な経営者だ。日本を相手にしていてもジリ貧になるので、日本の心とカルチャーを引っ提げて世界に殴りこみをかけるとのことだ。売り上げは現在の7倍の5兆円をめざし、年率20%の猛成長だ。
   日本はもう、日本企業にも捨てられるのだろうか?いやいや大いに外に出てもらって結構だ。「企業が逃げてしまったら、日本は空洞になる」…日本はこんな単能志向をもう捨てないといけない。そしてこれまでとは異なる新しい柱を、何本も打ち立てるべきだろう。

【猛烈成長は世界の場で】
 優秀な企業には、グローバル企業として、猛烈に世界に羽ばたいて、大いに拡大してもらって結構だ。ただし、日本で誕生した企業として、日本に対する最低限 の役割として、貿易収支が黒字になる程度には日本市場に付き合ってほしい。日本は資源のない国だから、資源を輸入し付加価値つけて、国内消費し輸出する、 循環の帳尻が黒字でなければ、国の経済がもたないから。

【国内には心地よいリズムを】
 日本はすでに熟成社会に入っている。熟成が爛熟にいたり衰退に向かう前に、生活のモードを変えて蘇ってはどうだろう。 勝つためにわき目もふらずに走るのはもうやめて、心地よいジョギングのリズムに減速し、まわりの景色を楽しんではどうだろう。たまには寄り道もいかがだろうか、文化の真髄は寄り道にこそあるのだから。
 若者が減り、年寄りが増える社会は減速が当然だ。年寄りは動作が鈍くて慌てないから、社会のリズムもそうなっていく。年寄りには年輪の味があり含蓄があるから、社会の文化度は自ずと高くなる。
 高度成長期のセンサーを捨てきれず、中国やインドの高成長にイライラしたりヤッカムのはやめにしよう。低成長で何が悪い!低成長は余裕のなせる技ときたもんだ。

【一度縮んで創り直そう】
 人口6,000万人は不可避だという。人口が大幅に減ったら、国は滅びるのか?そんなことはない。日本人は既成事実に弱いけど、現在の1億3,000万人 をなぜ正常と思うのだろうか。ほんの少し前の1930年の人口は6,000万人だった。怖がることはない、人口6,000万人が不可避なら、それに合わせ て、無理のないコンパクトな国の仕組みを創ればよい。

【移民の受け入れ大いに結構】
 年寄りだらけが心配なら、移民を受け容れればよい。日本の若者が楽な虚業にうつつを抜かして、介護や農業や林業をやりたがらなければ、世界から希望者を受 け容れればよい。日本人の定義を広げ、日本を好きになってくれる外国の若者たちを迎えれば済むことだ。肌の色が違おうが少々習慣が違おうが、NO PROBLEMだ!
 介護も農業も林業も実業で、地域の日常に根ざした職業だから、訪れる若者は、地域の人たちと連なって生活することとなる。地域の仲間のひとりとして受け容 れることが肝心で、まかり間違っても、チャイナタウンやリトルコリアやブラジル街として、都合よく隔離しないことだ。
 この人たちは、次第次第に日本の生活文化の担い手にもなり、閉鎖的な日本文化でなく、包容力と実践性に富んだ日本文化を構築していくのだろう。

【行政屋からボランテイアの手へ】
 今、国政レベルで官僚制が槍玉にあがっている。そして行政は中央から地域移管の気運にある。しかし地域行政も国政レベルと同病を患っており、所詮行政屋社 会というコップの中での問題移動に過ぎないから、それだけでは社会はよくならない。河村市長が孤軍奮闘している名古屋市でも、そのことがあぶり出されてい る。
 私たちが国政を意識するとき、近代明治以降にしか目がいかないが、国政を考える上で江戸は示唆的である。江戸の日常を司ったのは、助け合いのボランテイア 組織である。行政はそれに乗っかるだけで、たとえば江戸の巡査はわずか12人だったという(ロンドンの巡査は3,235人)。
 明治以来の「委託行政」の弊害を退治する上で、一度思い切って「預けあい助け合う」江戸の自主的やりくりに学ぶところ大だと思われる。

【国防を正視しよう】
 近年、平和ボケの日本人が、国防を正視させられている。長い平和ボケから覚醒して国防を考えるとき、ブレてはならない大切な基軸があると思われる。

◆「日本が良心的であれば、外国は攻めてこない」という妄想が歴史的事実にもとることを、もう国民のほとんどが思い知ったようだ。

◆ 国防の基本は外交にあるが、丸腰外交にすべてを託すわけにはいかない。軍事の備えが必須であることは歴史の教える厳しい現実である。さて問題は、どの程度の軍事の備えでどのように国を護るかだ。

◆ 核兵器に手をつけてはいけない
 人類は今、地球を何百回も破壊できる核兵器をもってしまった愚に気付き始め、人類史上初めて、「(核)兵器根絶」という目標を立てた。日本がいかに国際的KYであるとはいえ、人類史上のエポックであるこのときになって突然、核兵器根絶の旗を降ろしてはならない。
 日本が掲げるこの旗は、人類史レベルの意義をもち、世界で唯一の被爆国が立てる旗だからこそ、強力なメッセージを持ちうるのだから。

◆ 日本は覇権を求めない。
 国際世界の中で、文化国家日本としてしたたかに生きていくのだろう。自力防衛という効率の悪い重装備は求めずに、最低の軍備を数十倍にも数百倍にも生かせる外交にこそ日本を託そう。
外交は主張であり、堂々性である。中国もアメリカも、韓国も北朝鮮もいいたい放題で、日本だけが上目づかいの内弁慶というのが哀しい現実だが、まわりを気にする前に、国益を思い切って主張する勇気を身につけることこそ、外交への第一歩である。
 歴史を振り返れば、日本は古来から、中国の「大中華」主義にうまく付き合ってきた実績がある。
近代では、アメリカの「正義」主義ともうまく付き合ったし、そのアメリカとの日米安保は「遠交近攻」というクラシックな外交戦略に基づいて、自力兵器を数百倍に生かし、近隣諸国との関係安定に資してきた。
「覇権を求めず孤立せず、唱えて屈せず」が、日本の手堅い国防の柱だろう。

◆ 国防は存続のためのMUSTである。
 MUSTは国民がフェアーに負担し堪えるしかなく、ほとんどの国は皆兵制で、国民に等しく負担を求めているから、国防は現実(うつつ)だ。
 皆兵制なく、自衛権なく、アメリカ頼みの国防しかない日本の国民に、国防は朦朧でしかない。MUSTの現実(うつつ)は沖縄だけが負担している。
 はてさて日本の国民は、国防を正視して、どんなMUSTを現実(うつつ)化して、シェアーし合うのだろうか。【工藤】

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