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工藤さん

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老醜も風情だろう

2011年12月号

 順番を呼ばれた80歳ぐらいの男性が、オーデコロンを首に二振りし、少しよたって診察室に入っていった。補聴器の調整をしてもらっている94歳の男性からほのかな香りが漂った。微笑ましい男の作法だ。

 老醜・老臭と嫌悪される…厭な響きだ。若者たちの臭さもおばんたちの強烈香水もたまらないのに、男の老いの臭いだけが目の敵にされる。
 働き盛りだった頃も「濡れ落ち葉」だの「粗大ゴミ」だのと揶揄された。女族とマスコミの横暴だと憤ってはみたが、所詮、仕事馬鹿で生活のにおいをもたない自分たちに原因があると反省させられたものだ。
 今度は「臭い」と非難され、なんでいつも俺たちだけに…と憤りたいけど、やっぱり今回も、自分の中にこそ原因はあるようだ。若者や女性にはお洒落心がある ので、においにも気をつけるが、世間からどんどん遠ざかり、周りの目などアイドンケアーの年寄や仕事馬鹿のおじんたちは、自分がどんな臭いを発散しようと 気にしないから、公害に認定されるのだろう。
 自分の臭いに自信はない僕だけど、電車ではおじんや年寄の隣りには座りたくない。だから若いお嬢さんが隣りに座ってくれるのをひたすら祈って待つことにしている。お嬢さんこそいい迷惑だが…。
 電車の中といえば、先般、お嬢さんがお爺ちゃんに席を譲った…のはいいが、このお爺ちゃん、お嬢さんのことを根掘り葉掘り聞き続け、お嬢さん、逃げるに逃げられず。年寄に情なんかかけずに、ずっと寝た振りしてればよかったのだ。
  老醜の認識は、おそらく古今東西を問わぬ衝撃なのだろう。江戸の昔、二つの老いがあった。45歳になるとさっさと隠居して、数奇に走る洒脱な老いと別に、哀しい老いの醜さも認識されていたようだ。

  ◇皺がよる ほくろができる 背はちぢむ あたまははげる 毛は白くなる
  ◇手はふるえ 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとくなる
  ◇身におふは 頭巾えり巻 杖 眼鏡たんこ温石(おんじゃく) しびん 孫の手
  ◇くどくなる 気みじかになる 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる
  ◇聞きたがる 死にとふながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる
  ◇又しても 同じ咄(はなし)に 子をほめる 達者じまんに 人はいやがる
【老人六歌仙】

 避けようもない老醜だとはいえ、臭いとか穢いとか言われて死んでいくのは腹立たしい。最後は男の作法で、せめて少しでもきれいに死にたいではないか。風呂には毎日入ろう。下着も毎日替えよう、お口くちゅくちゅ、耳毛のカットも怠りなく、後ろ指指されず、身綺麗に死にたいものだ。
 加賀藩の名君だった前田綱紀は、老人の慎むべきこととして、「老いて情がこわくなること」、「物事がくどくなること」、「世の移り変わりと風俗を知らぬこと」を挙げたあと、「若いころは衣装を飾らなくとも美しいものだが、老人となって手足のゆびや、くびのまわりに垢よごれのあるのは、まことに見苦しいものじゃ。老いたるものは、よくよく身ぎれいにせねばならぬ」と言っている。

 身体の汚れなど、心の汚れに比べれば、何がしのことやあらん…などとうそぶく声が聞こえそうだが、そうはいかない。体の汚れが心を汚す、心の汚れは身体を汚なくする。
 だがしかし、老醜を一方的に悲観視することもなかろうとも思う。ここはひとつ踏ん張って、自然の摂理のどこが悪い!と強がるのもありかと思う。
 すくすくと天にのびる若木も魅力だが、葉っぱなく枯れ枝だらけの老木のたたずまいを「風情がある」というではないか。
 ならば年寄りも風情でいこう。わび・さびの風情を演出だ。老醜の現実を醜いと言わせず、枯れた風情といわせる努力をしようではないか。風情は調和だ。なら ば、自分だけの世界にとぐろを巻くのはやめにして、まわりへの気配りもほどほどに心がけることとしよう。そして見事な老い方だったという声をあとに、昇天 だ~。【工藤】


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