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コラム

工藤さん

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今どきの若いもんは…

2012年8月号

 古今東西を問わぬ、年寄の口上だ。その響きには世代間の断絶があり、自分たちのこれまでを美化し、若いもんのこれからに心を閉ざす風(ふう)が露わであ る。この口上の後には「なっとらん!」と続くのがセオリーで、僕もこれまで、あちこちでこの言葉とともに、若者を睨みつけてきた。だけど最近僕の心に異変 が起きつつある。
  かって「今どきの若いもんは、なっとらん!」と言った人たちは、若者の風潮に眉をひそめはしても、次の世代の日本そのものに絶望などはしていなかっただろうし、まさか、孫たちが危機に瀕するなど、思ってもみなかったろう。
 僕たちの世代の心情はどうか。自分たちの青春を良い時代だったと懐かしむのは相も変わらぬ凡夫の業だとして、息子や娘や孫の時代を思う時、日本という国 の社会基盤が根底から崩壊している様を正視させられるにつけ、罪なき孫たちが、ゆえなき不幸を背負わされる運命にあることを心底から不憫と思い、このまま では死んでも死にきれないというのが僕たちの心情なのではないか。

 その僕たちが「今どきの若いもんは…」と心を閉ざしてしまっては、日本の絶望を確定させる一役を買って、孫たちを不幸に追い込んでしまうようなものではないか。

 僕たちの生活基盤は、僕たちが一人前になる前の長い時間をかけて、祖父母や父母が整えてくれ、僕たちはその上で頑張ればよかった。…が、孫たちは不幸だ。孫たちの生活基盤は、まだよちよち歩きで、人生に向かってもいない今、劣化の一途を辿っている。孫たちが成人したときに何とかしようでは絶対に遅いか ら、孫たちが少しでも幸せに向かえるよう、生活基盤を整えておく努力をするのは、僕たち世代が逃げてはならない責務だと痛感する。あと十年間、僕たちは代 償を求めずひたすら老骨に鞭打って、日本のあり方に正論を吐き続ける責任があると思う。

 世代は孤立してはならないとつくづく思う。「いまどきの若いもんは…」でなく、いまどきの若いもんと手を取り合って、せめて孫の時代までの展望を開きたいものだ。これが僕の中の異変の第一で、第二の異変は、若者そのものへの認識の変容だ。

 先の 6 月 29 日に首相官邸前に集まった、大飯原発再開反対のデモの光景をテレビでみた。世界中で若者の怒りのデモが吹き荒れているのに、何を仕出かされても怒らぬ日本 の若いもんに歯ぎしりしていた僕は、衝撃を受けて心が震えた。首相官邸前に集まったのは当初 300 人程度だったという。フェイスブックやツイッターで連動の輪が広がり、主催者側発表では20万人(警察発表1万人)規模になったという。これまでの「組合の幟」はためくプロによる組織的なデモとは異質な、草の根の連帯である。遅まきながら、今どきの若いもんが立ち上がりつつある。ならば年寄は「今どきの若 いもん、もっと怒れ、もっと壊せ!俺も手伝おう…」と世代を超えて手を差し伸べるべきだろう。

 「いまどきの若いもん」は、五重苦の日本をあてがわれながらも、どっこい逞しい。硬いけど折れ易かった僕たちとちがって、したたかで堅実なのだろう。 ベッキーという売れっ子のマルチタレントの本が 36万部のベストセラーになっているという。ここには、僕たちが勝手にイメージしている「いまどきの若いもん…」とは対極にいる堅実な若者の実態がある。ベッキーいわく。

☆私のライバルは昨日の自分です。
☆頑張ることは楽しいこと。一個いいことがあったら二個何かを頑張ろう。
☆プラスな言葉を発した分だけ、人生の中の笑顔の数は増えると思います。
☆光栄に浸っていいのはその日だけ。次の日になったら全てゼロ。毎朝が新しいスタート。
☆苦しみも悲しみも全て階段。とりあえずのぼらなきゃ。大きい段、小さい段、色々あるけど、目をつむって歯を食いしばって一歩踏み出して、とりあえずのぼらなきゃ。とりあえず…とりあえずでいいからこの一段、ぐっとこらえのぼろう。

 このベッキーについてのテレビ放映が実に感動的だった。街角でインタビューされたコスプレのおねえちゃんや顔中をピアスだらけにしたおねえちゃんたちにとって「ベッキーの本はバイブル」なのだそうだ。

 ベッキーの本には、僕たちの青春にもあったけど久しく忘れかけていた、ひたむきな心がけと強さがある。その心がけを「いまどきの若いもん」が共有しているのだ。僕は、そんな若いもんとスクラムを組みたいと願う。そういえば、連日のデモの中にも、そんな年寄たちの顔を随分と見る。【工藤】

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