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コラム

工藤さん

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国境という桎梏

2012年10月号

 「小鬼子は死ね」と日本国旗に火をつけて踏みにじる光景に、日本の車やスーパーが破壊される光景に、もっていきようのない憤りを覚える。
 100艘の中国漁船が尖閣諸島を襲うと聞き、中国軍艦が領海内に無断侵入したと知り、「来るなら来い」と身構える僕たちの心の中を、なんと「アメリカは、尖閣諸島を日本の領土と早く言ってくれ」という願いがよぎる。沖縄基地の問題で悪化しきっている、そのアメリカを頼む性癖がここでも出る。

 敗戦後65年、日本は異文化国・アメリカとうまく付き合ってきたと思う。「JAP!」と言われ「ポチ」と冷笑され、沖縄が植民地扱いされても、ひたすら耐えてきた。その結果の平和であり、繁栄だった。
 そのアメリカと今、対等な位置での仕切り直しを求めてギクシャクしている。その隙間風を見事に利して、覇権膨張国家・中国が日本を揺さぶる。日本製品を ボイコットし、中国人観光客を一人もよこさないぞと恫喝し、日本財界はきっと音を上げてオネダリしてくるにちがいないと、待っている。展望もチャレンジ精 神も失ってしまった財界であっても、ここは「欲しがりません勝つまでは」…毅然とせねばならんのだろう!

 さて、アメリカと溝ができた日本は、中国といったいどうやって付き合うのか。
 アメリカは異種カルチャー国家だが、60余年にわたる深い付き合いの蓄積があり慣れがある。しかし、もういまさら主人とポチにはなれない事情が、日本に もアメリカにもある。アームズレンクスの対等な関係を望むなら、日本は自分の頭と覚悟で考えていくしかないということだ。
 さて中国とどう向き合うか。日本と同じルーツのカルチャー国なのに、中国とは遣唐使以来ごく最近までの千百余年、胸襟を開いて来なかった歴史的不幸がある。近しい国のはずなのに、このよそよそしい間合いを埋めるのは大変だ。

 その上、一党独裁を60余年をも続けている「強制」「強要」の体質国家であり、「共生」という生物界の基本作法を欠く国家である。その上に、日本が中国 に残した昭和の歴史的爪痕が関係を一層難しくしている。某中国駐在日本大使が就任前に「日本に残された道は中国の属国になる術しかない」と言ったらしい が、いまさら再び「ポチ」の選択はないと思う。さて、ではいったいどうする?

国と国とは「対等」が基本だろう。対等たるには、国家の尊厳を守る自衛の意志と能力が必須で、自衛の基本は「ペン」でなく、「剣」にある。剣=武力による自衛が整ってこその「ペン」であることは、哀しいことに人類が辿ってきた歴史的事実である。

 さてそれで、剣に核は必要か。日本はこれまで非核を貫いてきたが、そこにはひとつのマジックがあった。核の平和利用=原発を通じて、日本には核兵器を創る能力があることを世界中が知っている。能力あっても行使せずのスタイルは、パワーバランスの中で、日本独特のメッセージとして機能してきた。

 しかしいま、日本が選択した「原発の全面廃止」の道は、核技術を根絶やしにする懸念があるだけに、隣国の中国が、北朝鮮が、ロシアが核を持つ実態に鑑みるとき、難しい選択である。
 実際、剣=武力の道には際限がない。しかし核戦争=人類滅亡が公知の事実である以上、核は現実には使用できない脅しでしかない。ならば剣は非核装備を守 りながら(ただし、最新鋭の装備が必須である)、ペンの力で、バランスオブパワーに対処していく戦略があり得るかもしれない。

 「非核」のメッセージは、圧倒的に多い非核の国々への強い発信力をもっている。歴史上、ペンが剣に勝利した事例は希少だが、脅しとしての核保有より「非核」というペンの力のほうが、日本にとっては頼りになるもしれないと思う。核武装を唱えるのは容易だが、その前に、核根絶に向けた私たちの叡智と胆力を、 今とことん絞り出すときではないのか。

 日本が駆使すべき「ペン」の力は、これだけではない。
 世界は190余国もの多様な国家で構成されている。その世界の重要問題を、米・英・仏・ソ・中というわずか5カ国が勝手に裁いている。5か国のひとつが、自分のエゴで拒否権を発すれば、世界の190余国は何もできない…理不尽極まりない仕組みである。
 しかもその5か国は、人類史の中では一過性でしかない第2次大戦の勝者に過ぎない。その5か国が、60年余にわたって、傍若無人に振る舞っている仕組みは、一刻も早く打破しなければならない。
経済発展期を過ぎ、成熟文化国となった日本はいま、世界に発信すべきメッセージは何か?を考えるべきときに来ている。非常任理事国という、理不尽体制の 「おこぼれ」を頂戴しようなどとは考えず、もっと毅然と、世界の大勢を占める途上・新興・弱小国と手を携えて、人類史上の正論をこそ主張するときではない のか。「みんなのことはみんなで決める」。

 古い昔はともかくとして、途上・新興・弱小国の力は侮れない。南北対決では、明らかに南が押し込んでいる。これらの国々に素直に伝わる連携・共生のメッセージこそが、際限なきパワーポリテイックスの中にあって、日本の存在を輝かしめるものにすると僕は考える。

 弱肉強食のパワーポリテイックスの世界で、核武装もせずに弱者連合路線を採る理想論など、妄想に過ぎない、水爆を一発落とされたらおしまいだ、というのが大方の目線ではあろう。
しかし、「おしまいか否か」ではなく、そもそも人間も、その人間が創った国というものも、所詮滅びていくしかないものだ。滅びが定めであるとして、そん な定めの人間はどう生きて、国のなりわいはどうあるべきか…これは人間が宇宙界にその尊厳の足跡を残せるかどうかにかかわる、人類根源の大切な選択であ る。
 人間は、大いなる自然にはない「国」という欲望の形をつくってしまった。日本という国もそのひとつである。人間の尊厳をいくらかでも残したいと願うな ら、せめて日本という国は、欲の形でありながらも、本能むき出しのパワーポリテイックスに振り回されるのではなく、「世界的な弱肉強食の構造」を正すこと にこそ、自らの立ち位置を定めるべきだと考える。

 せめて私は、「人間の尊厳」に襟を正し続ける日本を確信しながら、死んでいきたいものだと願う。【工藤】

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