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工藤さん

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グランド・エンデイング…
大往生に向かって

2014年4月号

 一時期「後期高齢者」という造語が、余計者扱いの魂胆が丸見えで怪しからんと不興をかったことがあった。シルバー世代というのも何かくすぶった感じで元気が出ない。米国から移入されたビューテイフル・エイジングやサクセスフル・エイジングという概念もあるが、自分たちに照らし合わせてみると、何かちょっと気恥ずかしくて馴染みにくい。

 最近私たちの世代を「グランド・ジェネレーション」と表現する向きがあるらしい。グランドデザイン、グランドチャンピオン、グランドヴュー等々、こせこせしないで外に外に開いていくイメージがあって、僕は好きだ。何より、グランド・エンデイングという造語にすると、その語感は「大往生」に通じ、とても気に入っている。

 さて大往生…。そう遠くないその時に大往生できるには一体どうしたらよいものか。眠るように安らかな死も大往生、ついさっきまで走り続けていたのにバッタリの死も大往生。僕の美学では、走り続けてバッタリの大往生がよい…というより、僕に安らかな大往生などありえないからだ。

 僕は四十八歳で、それまでの人生航路から自分を外して、新しい人生を始め直したとき以来、故・吉川英治氏が描いたという人生シナリオに従って生きてきた。いわく、

「五十(歳代)開始」
「六十(歳代)精励」
「七十(歳代)成就」
「八十(歳代)休息」のリズムだ。

 そして今七十一歳の僕はいま、その成就の段階に居る。「成就」…何をどう成就するかは、描く構図によって異なるが、僕はできることなら「グランド」に成就したいと願っている。そう願う僕にとって、見事にグランド・エンデイングに向かったモデル人間が居る。葛飾北斎だ。
 九十歳という長寿を全うした北斎は、死に際に「天、我をして、後、十年あらしめよ!ならば、真正の画工になってみせようぞ!」と言ったそうな。
 七十四歳のとき北斎は、四度目の「富嶽三十六景」に挑戦し、自分の画作の見直しを行い、次のように再評価したという。

◇七十歳までの作品は見るべきものがない
◇七十四歳で、動物等の骨格を、やや悟るであろう
◇八十歳で、ますます進み
◇九十歳で、奥義を極め
◇百歳にして、神妙の域に達し
◇百十歳になれば、ひと筆ひと筆が生きるが如くに描けるであろう

 九十歳になったとき北斎は、何と、三十年分の画材を蓄えていたという。何ともはや、凄まじい迫力で、これが北斎の大往生への向かい方である。
 九十歳にして壮大な仕上げを目指した巨匠の大いなる志。九十歳まで生きる必要はないが、八十歳の休息まで、僕もその志の万分の一ぐらいは持ち続けたい。
 七十一歳で「グランド・ジェネレーション」を名乗って「成就」の時を生きるいま、エンジン全開で走りたい。これまでの過去、その時その時に、やりたい事、やらねばならない事を課題に立てて、自分なりには実現してきた。しかしそれらのどれにも、自分の全人生を引き取るほどの想いを込めた課題はなかった。
 人生の成就にあたるこの時、聞こえてくる自分の内なる声に耳を澄ませながら、今度、思い切って、人生最後の課題を設定した。青年の一途さと馬力で向かわないととても間に合わない、今までの自分にはちょっとばかり高いハードルだ。

 そうすると不思議だ。細胞が立ち上がって、心もそそり立ち、中途半端なプライドや見栄や恥じらいや…そんなものなど消え去って、エネルギーがバチバチと充電されて、エンジン全開!僕はこのまま晴れの「グランド・エンデイング…大往生」のその時に倒れ込む。倒れ込んだ僕に引導を渡してくださるお坊さんも、もう待っていてくださるし…。【工藤】

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