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社長コラム

工藤さん

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青い空を見上げて

2016年9月号

  僕は青い空を見上げるのが好きだ。
 玄関の扉を開けたとたん、公園の、目に沁みる緑の上いっぱいに広がるやさしい青い空。通勤途上、聳え立つビルのずーっと先に、凛として広がる、抜けるような青い空。
 そして、テニスコートをすっぽり包み込む悠々の青い空。 こうやって僕は、あとどの位、青い空を見上げることができるのだろうか。

 幼い頃僕は、真っ青に透き通ってまばゆい空と友達で、いつも一緒だった。そして僕の心の奥底にはいつも青い空が映っていた。
大人になって社会に出て、もう五十年も生きてきた。必死に生きていたあの頃、僕はどうも、青い空をすっかり忘れていたようだ。

 そして70歳を超えた今、また青い空を見上げるようになった。青い空を身体いっぱいに吸い込むと、身体の中がピュア―になった気がして、幸せ感でいっぱいになる。
西欧近代文明漬けにあうまでは、大人たちも、青い空を見上げて生きていた。耕す民も風を読む狩人も、広く広く青い空の下で、自然に包まれ、自然の摂理に従って「足りる」ことを知って、節度に生きてきた。
…が、禁断の「欲」を身に纏ったときから、人間は変わってしまった。「欲」は際限なく膨張して嫉妬と抗争を呼び、ついに人間は憎み合う「憎悪」の虜になってしまった。人はもう青空を見上げなくなり、地べたの心に囚われて、自然の摂理からはみ出してしまった。
 緑を削り取って高層ビルを林立させ、青い空をどんどんどんどん小さくして、コンクリートで塗り固めた地べたに蔓延った。
 とどのつまり、たった100年間で4倍強も増え、72億人(2013年)となった人間の我欲の総和は、地球の豊穣力を超えてしまった。

 もっともっとと自己増殖する「欲」は、資源と食料を取り合う抗争を呼び、抗争は「憎悪」を増幅させ、とうとう、地球を何百回も破壊できる核兵器まで持ってしまった。現代は、国家も個人も剥き出しの憎悪発生装置になってしまった感がある。
 節度を失った人間の勝手放題は、温暖化で地球の気象を狂わせてしまい、青い空を、積乱雲と雷雨とハリケーンに変容させつつある。   
 毎年、九州と四国を合わせた以上の面積が砂漠化し、海水の上昇で、モルデイブ共和国という1,200の島々が、50年以内に沈没する運命を抱えてしまった。青い空にはフロンガスで穴があき、紫外線被害に怯える運命にある。
かつてマルサスの人口論(1800年前後)や、ローマクラブの「成長の限界」(1972年)が人間の勝手放題に警鐘を鳴らしたことがあったが、いまだに解決の目途など立っていない。

 人間に救いはあるのか。このままでは否である。人間は、何としてでも変わらなければならない。動物は、「足れる」を知っているのに、人間は欲望を制御できない。動物は生きるために殺すが、憎悪はしないし殺戮もしない。人間は憎悪と限りない抗争に明け暮れている。動物は、家族と仲間に命がけでやさしいが、人間はどうだろう、おのれ以外に対して命がけにやさしいか。

 人間はみな、青い空を見上げるとよい。
 機関銃を向け合っている兵士たちも、国際会議の席上で、勝手な理屈をこね合っている者たちも、せめて一瞬でいい、共に青い空を見上げて深呼吸するといい。如何におのれが馬鹿馬鹿しいことをしているかを悟るだろう。
ゆったりと雲を浮かばせている青い空は、きっと人の心を揺り動かしてくれることだろう。「欲」と「憎悪」いっぱいの地べたの心を薄め、幼い頃にもっていた、やさしい心を取り戻してくれるだろう。何より、世界の民がこの青い青い空を共にいただいているという共同意識が、ひとりひとりの心に芽生えてはくれないだろうか。
 今でも、アフリカの砂漠の民は、青い空を真っ赤に染めて沈んでいく太陽に、毎日毎日いつまでもいつまでも見入っているらしい。

 ほんのひとときでよい、ひとは青い空を見上げて深呼吸するとよい。

【工藤】

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