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社長コラム

工藤さん

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インターネットと国家のせめぎ合い

2018年10月号

 人間世界の歴史を辿って見ると、人間の生活モードを根源から変えた画期的なテクノロジーが、時代時代に出現した。蒸気機関、活版印刷、電気、石油、原子力の出現がそれである。しかし、国家という枠組や国家と民衆の関係そのものに楔を打ち込むテクノロジーはなかった。
 いま、そのテクノロジーが出現している。インターネットである。

 「独裁国家の暴力」がいま、大手を振って闊歩している。大国ロシアのプーチン、大国中国の習金平、そして民主国家の雄だったはずの大国アメリカのトランプまでもが、独裁志向である。小さな国をも俯瞰すると、北朝鮮やベトナムにラオスから、最悪のトルクメニスタン、スーダン、ジンバブエ等々にいたるまで、枚挙に暇がない。

 国家というものはそもそも、一握りのエスタブリッシュメントの利益を守るエゴの塊であり、国家間の紛争は、この一握りのエゴとエゴのぶつかり合いである。だから、民衆にとって国家という概念は、馴染みのない異世界のものであり、民衆が国家を身近に感じるのは、圧政と抑圧という国家暴力への恐怖を通してである。

  人間社会の歴史は、この圧政と抑圧に対する民衆の忍従と暴発(=革命)の繰り返しと言ってよい。誰もが知っているフランス革命やロシア革命は、この暴発の典型である。

 「奢れる者久しからず」という名言が看破した通り、権力の集中と独裁は内部腐敗し、やがて崩壊していくのが、歴史の必然である。

 プーチンも習金平もトランプもそして金正恩も、独裁者は、膨大な暴力装置を背景に、強大な権力を独占している。そしてその権力維持のために、情報を統制し、真実から民衆を隔離することに耐えず腐心してきた。そして、人心がきな臭くなると、大量の紙幣を印刷してばら撒いて、取り繕ってきた。「情報」と「お金」を意のままに操作できることが独裁の力水である。
 
 ところで、時代の節目節目に、画期的なテクノロジーのブレークスルーが、人びとの生活をグンと向上させ、時代を変容させてきた。これらのテクノロジーが、独裁国家に対峙し変容、崩壊させたことはなかったのか?

 しかしこれらのブレイクスルーは、画期的ではあったがスタテイックであり、現代のインターネットのように、国家という枠組みや国家の壁の上を平気で突き抜け、飛び越えて、 瞬時に世界の隅々にまで駆け巡るほどダイナミックものではなかった。だから、国家の枠組みも民衆抑圧の構図もそのにままに、国家権力を大いに利する都合の良いツールとして収まってしまった。

 また、近代において、国家の枠組みを超えようとした動きもあるにはあった。コングロマリットである。しかしこれは、企業集団のエゴが国家の枠組みを、煩わしいと嫌っただけで、そもそもどちらもが、一握りのエスタブリッシュメントの代弁者という同質性のゆえに、国家の枠組みを崩壊させるような動きにはならなかった。

 そしていま、おそらく人間の歴史上初めて、国家の枠組みを自壊させるテクノロジーが出現している。インターネットである。

 インターネットは、これまでのテクノロジーと違い、誰かが独占し、自分都合で勝手な操作をすることができないものであり、この非従属・非独占性、大衆性、透明性、無機質性、そして瞬時伝達性において、国家の枠組みにとって極めて危険な現象を来している。

 プーチンも習金平も、そして金正恩も、世界中のどこからでも瞬時に入ってくるインターネット情報を、監視・規制しようと、必死の「赤い壁」を張っている。しかし所詮、独裁政権の空しい悪あがきでしかない。

 衛星インターネットが出現すれば、政権に都合の悪い情報が、この「赤い統制の壁」のはるか上空を瞬時に往来することとなり、隠ぺいから真実への民衆解放の時代が間もなく来ることとなろう。

 通信衛星放送の流布による「ベルリンの壁」の崩壊に続く、衛星インターネットの普及による「独裁の赤い壁」の崩壊である。

 トランプは、壁をつくる代わりに、インターネットを悪用して毒ついているが、世界中に自分の稚拙さを晒すこのやり方は、トランプの命取りである。

 情報が国を越えて飛び交っている。そして、お金の面でもいま、インターネットが、国の独占体制を脅かし始めている。仮想通貨(バーチャルコイン)がそれである。

 そもそもお金の発行は、国家の中央集権事項である。そしてその運用管理は、国に絶対服従を誓う、銀行という「大船団」に任されている。この大船団は、変化を嫌う保身集団であり、旧益を守るために、旧態依然の些末な作法を利用者に強要してきた。

 この状況をあざ笑うかのように、インターネットは、「仮想通貨」という恐ろしく革命的な通貨を生み出してしまった。

 その代表的な仮想通貨である「ビットコイン」には、国家の中央銀行のような、中央集権的な管理主体がない。インターネットを通じてかかわる世界中の人びとのアクションの結果で事柄が決まっていくので、国家は管理できず、国家のエゴを反映させる余地は皆無である。

 この透明で公平なツールは、銀行という保身集団には、とても恐ろしくて近寄れない通貨である。仮想通貨は、旧来の通貨に比して、断トツの優位性をもっているからである。送金速度はたとえばリップルコインの場合、わずか4秒という「瞬時」である。従来の銀行窓口経由では3~5日かかるのとは雲泥の差である。送金費用でみても、三井住友銀行の銀行窓口で、海外への円送金をすると、9,000円も取られるが、リップル送金の場合、送金額の多寡や送金場所に関係なく、たったの10円で済む。

 仮想通貨など、しょせん投機でしかないと決め付ける向きもあるが、現在の国際金融の礎となっている国際為替取引も、激しい投機で成立っている。

 インターネット・テクノロジーはもう止められない。もちろん、このテクノロジーは人間の本性とのかねあいもあり、深刻な課題も抱えている。際限なく飛び交う情報が、人間の尊厳とのかねあいで、いかほどの意味や価値があるのかという問いであり、仮想通貨が果たして、現在の投機オンリーでの普及を脱し、どのように日常生活に定着していくか、という問いである。

 しかし七難あっても、このテクノロジーの意義は大きい。「情報」と「お金」という、国家の大切な統治ツールの両面において、国家独占の枠組みを脅かし、「国家と民衆」の在り方にも風穴をあけつつあるテクノロジー…見守っていきたいものである。


【工藤】

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